感謝の心で さようなら

花田美奈子さんが亡くなりました。
知っている方は少ないかな?
私に食べ物のことを教えてくれました。花田さんを通して、本当に多くの方にご紹介いただき、引き上げていただきました。

ワタシの出会ったころ、60代だったでしょうか?
普段はいつもサンローランのスーツで、セミナーの時はコックコートとギャルソンの黒いエプロン。赤いふちのメガネをかけて、カッコよかった。自然食だなんて信じられないおしゃれさだった。そのおしゃれさがうれしかった。
それまで知っていた自然食のそっけなさに疑問を抱いていたワタシに「コレダ」と思わせてくれるお料理とお話でした。

花田さんの自然食の醍醐味は、大皿に盛り付けられた自然の彩りを取り入れた見た目の美しさとダイナミックな盛りつけ。
自然食のパーティーケータリングでオリジンズの日本初上陸の伊勢丹でのpartyやスパイラルビルのオープニングpartyを賑わせました。


マキシムドパリやエルフラメンコ、パブカーディナルなど、それまで西洋料理としてくくられていたレストランの専門店をプロデュースした人です。
その時代に海外に何度も渡航して、色々な国の料理を食べ歩き、店の雰囲気を体験していた花田さん。飽食の末に肝臓病にかかり、医者にも見放された所を玄米菜食で復活し、彩の少ないマクロビオティックをイタリア料理やスペイン料理などと融合させて彩の美しい自然食に変換させていった花田さん。

終戦直後は、銀座のクラブのマダムとして文豪たちや時代の寵児たちと交流を深め、その中でもトップを走っていた方でした。

渋谷駅で生きているハチを見ているんですよ!!

日本が凄い勢いで成長する、その最前線で食文化を作り上げた女社長。若く美しい女性だった花田さんの周りは、いつも華やかだったと言います。

最後に出された本のタイトルが「いのちのレシピ」
花田さんの生涯をまとめた本です。
映画のような生涯で・・・
そして、そんなことは別に気にも留めずに、いつも前を向いていてた。
今から先しか見ていなかった。肝が据わってた。最後のその時もそうだったはず。いつも柔軟に今を受け入れ、楽しい未来を見つめていた。



大好きです、花田さん。
ワタシも花田さんのように、今を受け入れ、柔軟な心で人と接し、力むことなく前に進む人になります。

ありがとうございました。

また、逢いたい!!